揺れる思いのトシちゃん

介護 comments(0) trackbacks(0) アズキ姫
頭では解っているが、気持ちがどうしてもついていかないこともある 


土日、祝日以外は、言語、作業、理学のリハビリがある。

アイちゃんは、日によってノリノリで頑張る時と、全くやる気の出ない日がある。

言語療法の時間は、自分の名前を言ったり、短い文章を読んだり、歌を唄ったりする。
それは、嫌がらずにするのだが.

口の中を拭いてもらったり、口腔マッサージをしてもらうのは、嫌なようで、先生が
「口をあけてくださーい、はい!あーん!」と言われると
アイちゃんは、にこー(^^)と笑って「もう やめよかあ?」と言い出すのである。

「まだですよ。」と言われると、眉間に皺を寄せて、口をへの字に結んで、絶対開けない.
そこからはもう二人の根競べ

大抵、アイちゃんが負ける(笑)。



作業療法では、机につかまって立つ練習をしたり、簡単な手作業をする。
好きな色の毛糸を選んで、円形の簡易卓上編み機を使い入院中に帽子を二つも仕上げた。

ある日、帽子編みに、あまり乗り気じゃなかったアイちゃんは、一つ毛糸を引っ掛けては、ため息をつき、また一つしては ため息。
その時、先生が「ちょっと、やっててくださいね。」と席をはずされた。

すると、横にいた、トシちゃん、「しんどいんか?手伝っちゃろか。」といきなり帽子を編み出した。(いやいや、それではリハビリの意味がないだろ(・。・)と思ったが、、、、)

しばらくして戻ってきた先生が一言、「僕がいない間に、随分頑張りましたねー。じゃあ今日はここまでにしましょう」
アイちゃんはニコニコ!トシちゃんと私はうつむいて、苦笑い。



理学療法の時は、いつも、まず寝転んで手足のマッサージをしてもらうのだが、何せ背中の湾曲したアイちゃん。仰向けになる時は背中とマッサージ台の間に、土嚢のごとく、クッションを挿み、左右にもクッションを置き、倒れないように、固めてからのマッサージである。

そして、いよいよ、アイちゃんにとっても、見ているトシちゃんにとっても、一番辛い時間、歩行訓練である

両サイドのバーを脇で挟むようにして、先生に補助してもらいながら、ほとんど利き手利き足だけで、前に歩くのだ。
2メートルほどを往復するのだが、先生曰く、こちらが、想像している何倍も体力も使い、辛い訓練なのだそうだ。



手作業にしても、歩行訓練にしても、アイちゃんの場合は、介護されるとき、アイちゃん自身の利き手利き足に力が入ることで、介護する側の負担が軽減されるためと言うことの方が、大きい。
車椅子から、ベッドに移行する時、その逆の時、オムツ交換の時、などなど本人が、力を入れてくれると、介護者は小さな力で動かすことができる。毎日毎度のことだから、これは とても大切だ。




トシちゃんも私達も、アイちゃんのリハビリに並行して、移行のやりかた、坂道や段差での車椅子の扱い、口腔ケアの仕方、麻痺している手足のマッサージの仕方など、何度も練習させてもらった。


この頃、トシちゃんが よく言うのだ。
わしらの、訓練だけやったら、あかんのか?利き足まで動かんようになったら困るけど、ハアハア言いながら歩く練習しとるのは、可哀そうで見てられへん。」

その気持ちは、よくわかるけど、ここはやっぱり、我慢やで。
アイちゃんにとっても、寝たきりになるのは、今よりもっと辛いと思うよ。


トシちゃん!暗いよ! 車椅子に乗って、一緒に散歩している姿 想像してみてよ!楽しいでー!!

フレーフレー!トシちゃん!!

チーム アイちゃん

介護 comments(0) trackbacks(0) アズキ姫
チームワークの良いスタッフは、患者やその家族に大きな安心感をくれるものだ。



リハビリセンターでは、入院すると、事前に組まれていたアイちゃんのためのスタッフが集まり、其々の紹介のあと、これからの予定を説明してくれた。

主治医、担当看護師、言語療法士、作業療法士、理学療法士でチームが組まれているのだが、今思うのは、入院中この5人が常にアイちゃんの状態を把握していて、誰に何を相談しても、全員に話が通じていて、其々の立場から、アドバイスをしてくれていたということだ。


主治医(キンキキッズの堂本光一にちょっと似ている)の先生は、健康管理が主なのだけれど、リハビリルームに度々アイちゃんの様子を見に来ては、無理してないかアイちゃんに聞いたり、励ましたりしてくれていた。

担当看護師さんは、背中の大きく曲がったアイちゃんに、どうすれば、本人に負担がかからないように胃ろう注入できるか、それはそれは試行錯誤してくれた。

背中が曲がっているので、胃も幾分圧迫された状態なのだ。
そのため、胃ろう口から食事を注入している時に食道の方へ逆流し、胃から入れた物を、口からもどすことが、ちょくちょくある。
これを、少しでも解消するために、本当に 申し訳ないほど、試行錯誤してくれたのだ。

そして、ようやく二つのことを工夫することで解決することができた。

一つは、胃ろう注入時の体形 。上半身を45度くらい起こし、下半身も両膝の裏側に直径20センチくらいの横長クッションをはさむ。どうしても仰向けは、背中が辛いのでやや横向きにはなるが。
正直なところ、何故その体形が良いのか、トシちゃんも私も理解してはいない。いろいろな、体形でやってみたところ、これで逆流がほとんどなくなったのだ。

もう一つの工夫は、胃ろう食そのものを、替えたことだ
色々なメーカーを試してみて、ラコールという商品名のものに、とろみをつけるための、イージーゲルというやつを混ぜて注入するのがアイちゃんに一番適しているということに決まった。

後は、注入スピードを10分〜15分を目安に、シリンダーで注入する練習を介護者の私達がするだけ。

看護師さんは、注入時のアイちゃんの体形を誰でも一目見てできるようにと、イラストを描いてベッドの上に貼ってくれた。

注入の練習にも根気よく付き合ってもらえたおかげで、胃ろう食事については何の不安もなくなった。

元々、理数系の大好きなトシちゃんは、この胃ろう注入に、ものすごく はまったみたいで、ラコールとイージーゲルを混ぜ合わせるマドラーの動かし方まで、こだわった。
私が混ぜてると、何気に横から、「泡 立ち過ぎやぞ、もっとゆっくり混ぜなあかん」とだめだしをする。

シリンダーにラコールを吸い上げるにいたっては、先端だけをラコール液につけて吸い上げ、(お医者さんが注射するときによく見かける、空気を抜くしぐさ、と同じように)シリンダーから空気を押し出してから注入していた。その仕事一つ一つの綺麗なこと! こういうとこ、父親似だったらよかったのにとつくづく思う。


看護師さんに褒められてトシちゃんも一つ自信がついたようだ。


次回はリハビリ3人療法士さんとアイちゃん、トシちゃんの思わずプッ(笑)な話。


県立リハビリセンター

介護 comments(0) trackbacks(0) アズキ姫
どんなに素晴らしいものが近くにあっても、縁がなければ、知らずに終わるものだ


病院退院の日、アイちゃんとトシちゃんと姉は介護タクシーで、私は一足先にリハビリセンターの方へ行くことになった。


アイちゃんが、お世話になる県立リハビリセンターは、何と!実家から車で20分程のところにあった。

幼かった頃、夏には、よく泳いだ川沿いを上流に走ること10分、「光都」と書いた道路標識を左折する。

山を切り開いた広く新しい道を2,3分も走ると、いきなり目の前に桃源郷のように現れる街!
その街の中心を南北にはしる道路を北へ、これまた2,3分車を走らせる。

なだらかな下りになっている、この道の右手向こうには、まるで「播州の軽井沢」と呼びたくなるような、大型コテージ風建物を木々が囲む 美しい光景が!!


それこそが、県立リハビリセンターだった!


建物の周りには、広い芝生、花壇、噴水に池・・・そしてわざわざの(?)散歩道!
屋根には自家発電のためのソーラーパネルが張り巡らされている。

イメージとは全く違っていたセンターに、口はポッカーン、目だけはキョロキョロ状態の私だった。

芝生上の駐車場に、車を停めて、とりあえず中に入ることにした。


外見に違わず中も、まるで避暑地のコテージ(私はサスペンスドラマでしかコテージを知らない(^^;) )。

待合室や談話室なども、椅子 テーブル全て木で作られている。廊下には当然、木の手すりが。

ナースステーションのカウンターは低く、車椅子からでも中の看護師さんが見える。

病棟は、ほとんどが4人部屋で、我が家にも一つ欲しいなと思うような可愛い箪笥が其々のベッド脇に置いてある。

仕切用のカーテンも ベッドカバーも柔らかいパステルカラー。

ドア側のベッドにも太陽光が入るように、ドア側の天井には天窓があるし、どの病室からも、直接、車椅子のままテラスに出られるように、ガラス戸が設けられている。

勿論、トイレ 洗面台も各部屋に備え付けられている。
トイレも洗面台も車椅子に座った状態でも作業ができるように高さ 奥行き スイッチの場所 水道の蛇口の位置 レバーの開閉方法までも考えられているのには、驚いた。

退院した時の、日常生活を基準に、センター内のどこにいてもリハビリになるように設計してあるのだろう。

アイちゃんのように高齢で、認知症の人もたくさん入院しているのか、各部屋の入口には、自分の部屋とわかるように、人形 リボンなどの目印も置いてある。


まだまだ特筆すべきところが、たくさんあるが、アイちゃん達の乗った介護タクシーがセンターの玄関に到着したようなので、今日はここまで。
 

そんな所があったんだ!

介護 comments(0) trackbacks(0) アズキ姫
未知の世界の入口に立ってくれていて、道案内をしてくれる人ほど心強いものはない


退院が決まっても即,家にとはいかないそうだ。

在宅介護準備期間が必要なのだ。

介護をする方も、される方もお互いに快適に過ごせるよう、家をバリアフリーに改装しなくてはならない。
介護者の介護訓練もしなくてはならない。
介護福祉サービスの仕組みも理解しておかなくてはならない。


ソーシャルワーカーの先生から、準備期間中、入院できるリハビリセンターがあることを聞き、手続きはしたものの、全く初体験の私たちは、ただオロオロするばかり、何から始めればよいのやら、、、、。

そんな時だ!ケアマネージャーさんなる者がヒーローの如くアイちゃんを訪ねてきてくれたのは!

そして、これからのことを、一緒に考えましょう、お手伝いしましょうと言ってくれるではないか!

嬉しい!!心強い!!  ケアマネさんが神様に思えた。

ケアマネージャーという、仕事を思いつき、起ち上げた人に感謝でいっぱいだ。


ソーシャルワーカーの先生や、ケアマネさんの話によると、これから行くリハビリセンターでは、アイちゃんのリハビリもしてくれつつ、介護者である私達の介護訓練もしてくれるのだそうだ。家の改装についてもセンター内に担当窓口があるらしい。

そんなリハビリセンターがあったとは、日本の介護福祉事業も なかなかのもんだな。

トシちゃんは、そんなとこ経由しないで、すぐにでも、家に連れて帰りたかったようで、
「わしは、おばあも、ひいおばあも家で、看取ったんじゃ。」と、つぶやいていた。
確かに、福祉も何もない時代に、トシちゃんはほんとに、よく頑張ったと思う。

でも、せっかくの、ありがたい機会、2か月と期限も切ってあることで、トシちゃんも、渋々承諾。

どんな所なんだろう? 期待で胸がいっぱいだ!
 

決断その2

介護 comments(0) trackbacks(0) アズキ姫
何かを決断する時、私は、今一番大切にしたい事は何かを考える。


一つ問題をクリアした私達は、新たな決断を迫られることになった。

ソーシャルワーカーの先生から、
「退院後はどうされますか?」と聞かれた。
つまり、介護施設に入るか、在宅介護をするかの選択をしなさいということだ。

トシちゃんは即行で、在宅介護に決めた。それは当然わかっていたこと。

しかし私は、胃ろうを決める時以上に迷った。
姉、弟、私其々の家族や、仕事場の理解と協力がなければ、在宅介護は難しいと思ったからだ。

在宅介護と言っても親子同居ではないので、トシちゃんが、介護することになる。老老介護というやつだ(弟は独身だし、自分の仕事でいっぱいいっぱい) 
そうなると、姉や、私の参加が必要不可欠となる。大袈裟に言えば(いや!決して大袈裟ではない)これからの、我が家の生活が一変するのだ。


少し時間をもらって考えることに、、、。


仕事、やめないとだめかなあ? 実家ばっかり行ってたら夫は怒るかなあ? 子供らはどう言うかなあ、、。

よーく思い出してみて・・・。今まででも、こっちの都合関係なしに、実家に呼び出された時、夫も子供も気持ちよく送り出してくれてたやろ?仕事場のみんなも休ませてくれてたやろ?周りはみんな協力的、これからもそうだということは、本当はわかっているくせに。

なのに、何故そんなに、まだ始まってもいないことを先々心配してしまうのだろう。

きっと、怖いのだと思う。
この先、何年続くかわからない介護を、仕事や家事と両立していけるか、不安なんだと思う。
実家に一番近くに住んでいて、アッシー君もできる私を、トシちゃんが頼りにしまくるのが、目に見えているから。


とにかく、心配ばかりしていては何も進まない。

おい!自分!  今捨てられるものは何?捨てたくないものは何?
一番大切にしたい気持ちは何?

「アイちゃんを、アイちゃんが一番居たい場所に連れて行ってあげたい!」
やっぱりこれしか、思い浮かばない。

いつか面会に行った時、呂律の回らない声で「家へ帰ろか。」って言ってたアイちゃんの泣きそうな顔を思い出したよ。

「ウン!アイちゃんとトシちゃんのお家に帰ろ!そうしよう!」

それから、またみんなで考えよう。

胃ろう手術

介護 comments(0) trackbacks(0) アズキ姫
総合病院というのは、なかなか連携良くできているものだ。

アイちゃんの主治医は脳外科の先生だが、手術すると決まると、すぐに外科の先生から看護師さんを通じて連絡がきた 。手術の説明をするとのことだ。

込み入った内容ではないのでナースステーションでいいでしょう、ということで、トシちゃんと姉 私はそこに呼ばれた。緊張しまくりの、私達を察してか、先生は「簡単な手術ですから大丈夫ですよ。」とまず話された。いや先生には簡単でも、こちらにすると、お腹に口を造るなんて初めての体験、ドキドキもいいとこだ。

先生は、まだ文字の読めない幼児にアイウエオを教えるかの様に、お腹の図を描いて丁寧に説明してくれた。穴を開ける箇所をまず決める。それから胃壁と腹壁をいったんまとめて留めておき、穴を開け、ペグ(栓)を設置するのだそうだ。(私が浮き輪の栓と言っていたのは、カンガルーボタン が正式名と知る)

ただアイちゃんの場合一つだけ問題があるそうだ。

実はアイちゃんは6年前、風呂場でこけたことがあり、その時、背骨を圧迫骨折している。以来、アイちゃんの背中は、徐々に湾曲していき、今では伊勢海老もビックリなほど見事に曲がっているのだ。そのため、穴を開ける箇所を決定するのに、少し時間がかかるだろうということだ。


手術当日、トシちゃんは、いつもの電車より、3つも早いやつに乗ってきて、私がいつもの、時間に行くと、「遅いやないか。」と一言。「いやいやあんたが早過ぎる」と言いたいのを呑み込んで、「ごめんごめん。」「と返しておいた。

看護師さんにベッドごと連れられて、アイちゃんは、手術室へ入っていった。

私達はとりあえず病室で待ってることに。
「どのくらい時間かかるんかなあ?」「そんなにかからへんやろ。」「わし、昨日晩寝れへんかったわ。」「いやいや、そんな大袈裟な!」と返しつつ、本当に眠れなかったんだろうなと思った。

・・・とそこへ、まだ1時間も経ってないのに、「ただいまー!」という看護師さんの声とともにアイちゃんが病室に帰ってきた。

えっ!?もう終わったの?
いやあー何と簡単なこと!そして病院慣れ 手術慣れしていない私達の何と大層なこと!ただただ、苦笑いしかない。

ともかく新しいお口が、無事誕生して、めでたしめでたし、、、

術後、ペグの不具合で、もう1回新しいものと取り換えるというハプニングはあったものの、それからは順調で、アイちゃんは発熱することもなく、第2の口から、モグモグと(?)食事をしている。


トシちゃん、アイちゃん、退院の足音が聞こえてきたよ!!

決断その1

介護 comments(4) trackbacks(0) アズキ姫
人間は、無意識のうちに、予知能力を発揮して今を行動してるのではないかと思う時がある。


アイちゃんが倒れる一か月ほど前のことだ。

久しぶりに実家に行くと、パンや饅頭やお菓子が、茶の間に置いてある。別段不思議な光景ではない。
「たくさんの貰いもんやなあ、おやつに困らなくていいなあ。」と言うと、トシちゃんから、意外な返事。

「この頃、おかあちゃん(アイちゃん)口卑しいほど食べるんじゃ。このパンも饅頭も全部コープの共同購入で、おかあちゃんが注文したやつや。ほんまに どないなったんか思うくらい、よう食べる。」

まさか、それはないだろと思ったが、どうやら本当のようだ。
今昼御飯がおわったとこなのに、あいちゃんがムシャムシャとパンをたべはじめたのだ。
あんなに少食でおやつも滅多に食べない人だったのに、、、。

今になって思うのだが、あれは、こうなることを感じてたアイちゃんの無意識の行動だったのではないかと。


アイちゃんが退院出来ない理由は、度重なる 誤嚥による発熱。

トシちゃんも、最近は元気がなく面会に来る度アイちゃんに、「今日は熱出えへんかったか?」と聞く。

 
そんなある日のこと、主治医の先生から「胃ろう措置を希望されますか?」と聞かれた。 (「胃ろう」って何?)

「胃に穴を開けて そこから直接食事を注入するんです。」

開けた穴に、浮き輪の空気栓みたいなものを、はめこむわけだ。
食事をする時は、それに長いチューブを繋げてシリンダーで注入するようになっている。色々なタイプがあるが、スリムでお腹にあまり贅肉のないアイちゃんは、浮き輪の栓タイプが合うらしい。

鼻の管が取れるなら、これ以上嬉しいことはない。
即座にOKサインをだしたいところだが、ちょっと待て
よーく考えてみよう・・・

胃ろう措置を選択するということは、延命治療をしてもらうということだ。
トシちゃんや姉、弟、私も勿論、少しでもアイちゃんに長生きしてもらいたい。しかし、現実生活を考えると、トシちゃんも、かなりな高齢、若い私でさえ、アイちゃんより後に・・なんて保障は何もない。一番気になるのは、アイちゃんが「もう充分生きさせてもろた、早よお母ちゃんや弟のとこへ行きたいなあ。」とよく言っていたことだ。

自然の寿命に委ねた方がいいのか? 医学の進歩に委ねた方がいいのか?

アイちゃんに決めてもらうのが一番良いのだろうけど、入院中にも徐々に認知症が進み、質問されたことが、答えを考えてるうちに解らなくなっている状態では、難しいだろう。

トシちゃんを囲み、みんなで相談を重ね、遂に決めた。(トシちゃんはその場では自分の気持ちを言わずに後になって「ほんまは、こう思とった。」と言ってくる事が多いのだが、今回はブレなかったので、大丈夫だろう。)

胃ろう措置をしてもらう!

とても悩んだ割には、決断の理由はいたってシンプル。全員一致で、長生きしてもらいたい、後は何とかなる、いや何とかしよう!ということだった。

アイちゃん、希望に反してたら、ごめん!!!


一つ決断したことで前が明るくなったのか、トシちゃんの表情が柔らかい。

私だけか、、アイちゃんの、「あの世のお迎え待ってるぜ」的な言葉を気にして、決断後、まだひきずってるのは?

とにかく、決断は決断として、前向きに捉えよう!

入院ライフはなかなか辛いよ

介護 comments(0) trackbacks(0) アズキ姫

 ICUには、一日入っていただけで、その後は6人部屋に移った。

アイちゃんは慣れるまでは、周りの声や物音が気になって、左目だけキョロキョロ動かしては呂律の回り難くなった声で「誰かおるんか?」 と面会に行くたびに聞いてきた。

右半身麻痺した上、当分 点滴だけなので、身体の自由がきかない。

気配だけを感じて過ごすのは、不安なものなんだろうな。

多少は認知症があるものの、まだまだ頭もしっかりしているアイちゃんだから、落ち着かないのも無理はない。

それでも面会に行くと、満面の笑みで お出迎えしてくれる。

「私は誰や?」と聞くと3回に1回は名前を言い当ててくれる。

仕事に疲れた私は、それだけで癒されるのだ。



トシちゃんも、遠いのをものともせず、電車で30分+バス10分の道のりをせっせと通って来た。


そうなのだ、毎日 定年退職後の嘱託サラリーマンのように、同じ時間、同じ車両で、やってくるのだ。たぶん、座席も決めているんだろう。


そして、余程のことがない限り、同じバス 同じ電車で帰っていく。

一度、病院に来る途中、お腹の調子が悪くなり、駅のトイレに寄ってる間に、いつも乗るバスが出てしまった。
その時は、本当に残念だったらしく、病室に入るなり
「すまなんだなあ、便所に行っとったら、バスが出てしもてな。」と、謝っているトシちゃん。

これには、看護師さんも、爆笑!

「ご主人に愛されてるねーえ、」と言われて、アイちゃんもニコニコ。
トシちゃん、こんなに愛妻家だったっけ?

子供には何も言わず、妻のアイちゃんにだけは、感情を全てぶつける怖ーいトシちゃんしか見たことのない私は、この変わりように、少々戸惑っている。

嬉しいことなのだけど、
「トシちゃん!一体どうしちゃったのかなあ!?」


頑張り屋のアイちゃんは、手足のリハビリも一生懸命だ。

点滴袋と、尿袋をぶらさげながら、車椅子に乗せてもらって、リハビリ室に行くアイちゃんを見てると、思わずエールを送りたくなる。

アイちゃんには殺し文句がある。
作業療法士や理学療法士の先生の顔をじっと見つめては、

「綺麗な顔やなあ。」
と言うのだ。

誰彼なしに、先生を見ると こう言うのだが、言われた先生は嬉しいようで、
若い先生などは本気で照れる人も。

でも、アイちゃんが、リハビリを終えたくなると、こう言うのだと解ってくると、先生たちも負けていない!

「ありがとう、嬉しいからもっとリハビリのサービスするわ。」

すると忽ちアイちゃんは眉間に皺を寄せて、べそをかきそうな表情になる。
それを見るのが、楽しくて、ついリハビリ室にまで付いて行ってしまうのだ。



言語療法だけはなかなか進まなくて辛そうだった。

無知な私は、大変な勘違いをしていた。

右半身麻痺というのは、手足胴体だけでなく、
右半身を動かす全ての機能が麻痺しているということに気が付いた。

嚥下(呑み込むこと)が困難になっているのだ。

ただでさえ、寄る歳のせいで細くなってる食道。

そこへ、喉も右側機能の麻痺で呑み込む力が極端に弱ってしまった。

アイちゃんの大好物のプリンでさえ、呑み込めないのだ。

水は、もってのほか!とろみが無いと、喉の通過スピードが速すぎて誤嚥する。そのたんびに発熱。


そんなわけで途中から、鼻から胃に直接 管を通しての流動食になった。

ころが、アイちゃんは なかなか逞しくて、管を左手で 抜くのですよ!


ある日 面会に行くと剣道の小手のメッシュ版みたいな物を左手にはめられベッド柵に紐で括り付けられていた。
あまりにもしょっちゅう、鼻の管を自分で抜いてしまうので・・・・
看護師さんは やむを得ず、この措置をとられたのだそうだ。

「アイちゃん 辛いけど我慢しようね。」


この日を境に笑顔が少なくなり、呂律の回らない声で

「家に帰ろか?」 と よく言うようになったアイちゃん。

入院して、もう4か月・・・そうだねえ、早く家に帰りたいねえ、、、。

一命はとりとめたものの・・・

介護 comments(0) trackbacks(0) アズキ姫
夜にかかってくる突然の電話ほどドキッとするものはない

まず良い方には想像できないものだ。

夜の10時過ぎだったと思う、
私は唯一の楽しみであるサスペンスドラマを見ていた。

そこへ突然の電話のベル
ドラマの臨場感を倍増させるようなその音に驚き、すぐには受話器をとることができなかった。

一呼吸置いてから電話にでると、弟からだった。

「姉ちゃん?お母さんが倒れた、救急車で病院に行くから、姉ちゃんも行っといて。」
「わかった!すぐ出るわ。」
おかしなもので、「えー!?」とか「うっそー!」とかは思わなかった。
どちらかといえば「とうとう来たかあー っ!」という気持ちだった。

急いでパジャマを外着に着替え、化粧は省き、髪だけ梳かして車に。

夫が「安全運転でね。」と声をかけてくれる。
この一言で不思議と気持ちが落ち着いた。
さすが我が夫、平静を装ってるようで実は動揺している私をわかってくれている。
「着いたら電話するわ。」と言って車を発進させた。

搬送先の病院は、偶然にも私の仕事先のすぐ近くだった。
実家の近くの病院はどこも受け入れてもらえなかったそうだ。

病院までは、実家からだと救急車でも30分はかかる。
私は10分ほどで着く。・・・はずだったんだが、、、
病院の近くまでくると、、あれっ?  前を行く救急車って、もしかして、、アイちゃん乗ってる?

・・・・・あっ、病院に入った。

「はっやー!!」

(夜の運転に慣れてないサンデードライバーの私と、バイパスを使ってくる救急車とでは、そりゃこうなるわ。)

夜間入口から病院の中に入ると、トシちゃんと弟が、長椅子に座っていてアイちゃんは処置室にいた。

トシちゃんは半泣きな顔で何故か私に笑顔を見せようとしている。
何か言いたそうに近寄ってきたけれど、またもとの場所に座ってしまった。
そんな様子を見てか、弟がこれまでの状態を詳しく話してくれた。



30分ほど待っただろうか、看護師さんが

「どうぞ入ってください、説明があります。」と云いに来た。

処置室に入ると、アイちゃんはベッドで目を開けていた。
良かった!生きてる。、、と安心したのも束の間、何か変だ
手がダラーンと垂れているし、目も、どこを見てるのか焦点が合わず無表情に見えたのだ。

「脳梗塞です。右半身の機能が麻痺しています。手術は場所的に無理ですね。」
担当医が頭のレントゲンを見せながら説明してくれた内容を簡単に言うと、そういう事だった。

アイちゃんは、トシちゃんや私が声をかけても、少し目が泳いだだけでボーと宙を見て、そのあと寝てしまった。

この後アイちゃんは、集中治療室に入り、私たちは命には別条ないとわかったので帰ることになった

「可哀そうなことになってもた、、。」

ボソッとつぶやいたトシちゃんに
「命には別条ないんやから良かったやん。」
と、言ってみたけれど、トシちゃんの耳には、この時は何も入らなかったみたいだ。

とにかく、この日は帰るしかなかったので、私も家路についた。

帰る途中、車を運転しながら思わず可笑しくて吹き出してしまった。

往きの車の中で私の頭に最初に浮かんだこと

「しまった!喪服の着物 今年は虫干ししてへんわ。どないしょう。」だった。

輪をかけて可笑しかったのは、姉に電話をした時の姉の第一声が

「喪服も持って行っといた方がええか?」だったのだ。

どうも私達姉妹は、トシちゃんのネガティブな性格の方を受け継いだようだ。

「生きてるでー!!勝手にあの世に送らんといてー!」

何処からかアイちゃんの声が聞こえた気がした。
  

アイちゃんが倒れた!!

介護 comments(0) trackbacks(0) アズキ姫
昭和一桁生まれは我慢強いという

トシちゃんもアイちゃんも、典型的な昭和一桁人間で、とても我慢強い。
その点では似た者夫婦なのだろう。
ただ決定的に違っているのは、物事の捉え方である。
トシちゃんはネガティブ、アイちゃんはポジティブなのだ。


見合い結婚でお互いの顔もよく見ないうちに夫婦になった二人は、上手くかみあわないまま持ち前の我慢強さだけを頼りに何とか平凡に日々を送ってきた。

3人の子宝にも恵まれ、無事子育てを卒業し、親の介護も果たし
金婚式を迎えるまでになった。

ここまで連れ添い苦労も共にすれば 少しぐらいは互いに歩み寄るというもの、、
この二人、寄るには寄ったが、哀しいかな愛情表現がとにかく不器用なのだ。

横で見ているこちらの方が

あーっ!そこはもっと優しく言わないと。」

こらっ!そこは素直に受けるとこだろ!」

などと、お互いの気持ちを ついつい解説してやりたくなるのだ。
(高倉健じゃあるまいし、不器用も程々にしてほしい)


そんな二人だが、別れもせず、相変わらずボチボチと日々を過ごしていた。




ところが、事態は突然やってきた!


3年前 丁度トシちゃんの82歳の誕生日の夜のこと、

「おい!風呂に入れ。」と言われたアイちゃん
「そやなあ、入ろか」と言って、立ち上がろうとした瞬間!

罠に掛かったウサギみたいに、もがいたきり右手足が動かなくなり、目の焦点も合わなくなったのだ。

トシちゃんが、一生懸命名前を呼んでも、返事してくれない!
もう気が動転して何をしていいか考えられなくなってるトシちゃん!

どうする!?どうするトシちゃん!!?

・・・・そうだ!息子が帰っている!!

いつも帰りが遅い息子が、神のお告げでもあったかのように、偶然この日は早く仕事から帰っている。


息子(つまり私の弟)はアイちゃんの事態を一目見て、すぐに救急車を呼んだのだった。

  • 0
    • Check
    無料ブログ作成サービス JUGEM